人生(42)を振り返って

--

こんにちは、42tokyo Advent Calendar 2021の5日目を担当する、スタッフのnopです。42に出会ってから5年も経ったので、いろいろ振り返りたいと思い、記事を書くことにしました。自分がなぜ42Tokyoにコミットしているか伝われば、嬉しいです。

大学で初めてプログラミングに出会った。

当時は、VHDLというプログラミング言語と下の写真に似たハードウェアを用いて、ボタンのオンオフをインプットとして、好きな数字をディスプレイにアウトプットするといった単純なプログラミングを行なっただけだが、熱中していた自分がいた。

Photo by Vishnu Mohanan on Unsplash

解けなさそうな問題を解いた時の快感。

新たな知識を実践ですぐさま試せる知的興奮。

自分の頭の中から湧き出るロジックを具現化する過程では、無駄なことを一切考えなくなる。

とにかく、楽しい。

プログラミングの虜になってからは、様々なプログラミングに挑んだ。組み込み系、ウェブ系、モバイル系… プログラミングのコンテンツはググれば無限にあるので、楽しそうなコンテンツは片っ端から試していった。

ただ、大学生の時間は有限である。

授業が午前と午後にみっしり詰まっていたり、宿題の量が膨大だったりと、自由にプログラミングできる時間は限られている。

それと、大学では、プログラミングのテストで20点中10点をとるために最低限のプログラミングを学ぶ(暗記する)学生しかいない。プログラミングを大学の資格を獲得するためだけの手段の人たちとプログラミングすることを目的とした自分。

孤独だし、時間もない。

このままだとプログラミングに熱中したいのにできず、何もしたいことがなかった中学生活や高校生活、無駄に時間が流れていったあの時代と同じように、大学生活を過ごすのではないか。

そんなモヤモヤとした大学時代を過ごしていた中、友達が何気なく、当時話題になっていたプログラミングの学校について話していた。

友達:「42っていう学校やばいらしいね。ずっとプログラミングしているらしいよ。」

自分:「ずっとって何時間?35時間?」

友達:「90時間」

自分:「???」

ちょっと気になってググってみたら、ガチだった。

しかも、授業もなく、先生もいないらしい。

あまりにも異質な学校だったので、その晩、42について何時間もググっていた。

一晩ググった結果、自分が42に対して持っていた認識は、

「四六時中プログラミングに熱中する場所」

自分が熱中できる環境は、大学ではなく42だ。

自分の理想郷を見つけてしまったので、早速42に入学するための試験(試練)を一ヶ月受ける決断をして、フランスの南の方から北のパリへ上京した。

そして、入学試験を受けたが、想像以上に衝撃的な試験だった。

42の入学試験についてググっていたとき、入学試験を受けた人たちはみんな、「自分は入学試験で週に約90時間コミットした」と言っていたが、90時間は最大ではなく平均だった。最初の一週間で90時間以上をコミットする猛者たちも普通にいた。寝るかコード書くかの二択しかない。しかも、寝ている時でも夢の中にコードが現れる。試験中は、すべての時間をプログラミングに費やしていた。

しかも、この入学試験を受験しに来る人たちは、曲者が多い。

英語しか喋れない人、中学を中退した人、現役のエンジニア…

自分とは違う世界を歩んできた人たちが、自身の経験や価値観を糧に、自己流のプログラミング学習を習得したり、独自の方法で問題を解決したりする。大学で先生が教えてくれた学習方法や問題解決の手法しか知らなかった自分にとっては、入学試験で出会った人の数だけ学びがある。

本来であれば、何も接点はなく出会うことはなかった人たちだが、プログラミングが好きという共通点のおかげで、一緒に切磋琢磨しあえる仲間に出会えた。もう孤独ではなかった。

価値観が違う人たちが一箇所に集まり、試験を乗り越えるために一丸として四六時中プログラミングに熱中する。

自分が求めていた理想郷は想像以上に熱中できて、自分の「居場所」は42だと確信した。

そうして、怒涛の試験を一ヶ月間泳ぎ切った結果、無事合格し、大学を中退して42にフルコミットした。

「四六時中プログラミングに熱中する場所」

自分の中では、このように42を認識していたが、3年間コミットし続けた中で、42の認識はことごとく進化していた。

「自分のプログラムを壊される場所」

「プログラムを壊してくる人と仲良くなる場所」

「かけがえのない友達を作る場所」

「友達とコーヒーを飲みながらたわいもない会話をする場所」

ただ、42がどのような形になろうと、自分の「居場所」であることは、変わらなかった。

とある日、「42を東京でも作りたい」という熱意を持った人たちに出会ってから、42という「居場所」を日本に作り上げるために、情熱とスーツケース1つで日本に来た。

日本に来てから、2年という期間の間で、様々な学生の「居場所」を作り上げられたと思う。

2020年1月と2月、オフラインで環境を提供していたため、まずは、東京周辺にいる・東京に来れる人たち。

2020年3月頃は、コロナによって、オフラインで提供することができず、このままコロナが収束するまで待つのか待たないのかという中、「オンライン化する」という方針が決まったことにより、

2020年8月頃には、3月に開催できなかった入学試験をハイブリッド形式(4週間の内、来校しないといけないのが数日)で提供を行えた。

2020年11月頃からは、完全オンライン。

2021年4月、18歳以上という制限を16歳以上に変更した。

様々な人に「居場所」を提供できるように、42の本質的な部分を変えず、本質的ではない制約を取り除いたり、更新したりと…

そうして、今の42Tokyoが存在している。

42Tokyoが誰かの「居場所」であり続ける限り、今後も42Tokyoが継続していけるようコミットし続けるだろう。

そういえば、最近、ある学生が42Tokyoを

「筋トレをする場所」

に進化させていた。学生が自ら、他の学生のために新たな「居場所」を作り出したことに感動したので、共有させてください。

明日は, nafukaさんが,「 STLコンテナの話」について書いてくれるみたいなので,是非チェックしてみてください。

下記のリンクから閲覧できます。

それでは、みなさん、どこかでお会いしましょう。

--

--

No responses yet