42の文化について

--

この記事は42の文化を言語化することが目的ではない。42東京の運営体制が変わり、42東京の文化が変容する境目にある今、「42東京はどうなってしまうのか」と困惑している学生たちを見受けられる。過去の42の文化を参考に、この変容はどこへ導くのかを伝える手助けになればと思い、一筆する。

そもそも42の文化とは、言語だけで認知できる領域を凌駕しているため、理解したい方は、42での学習体験を受けてもらうしかない。体験したとて、人それぞれ体験した価値は違うので、一概にして42の文化を定義できるものですらない。頑張って言語化しても精々「やってみればわかります」・「つら楽しい」と言った単語が限界である(「つら楽しい」という単語を42東京で生み出した前事務局長の文二郎さんは天才だと思う)。正直な話、7年ほど42に在籍しているが、「42の文化は一概にして定義できず、42の当事者1人それぞれの定義が重なり合うことで定義される性質を持っているのが42の文化である」と自分は思っているため、定義しなくとも良いと考えている。

それでも、2016年あたりを振り返ると、今もなお心の中に刻まれている42の文化を言語化したキャッチコピーがある。

BORN2CODE

バックグラウンドや経歴に関係なく、みんな純粋にエンジニアリングに熱中する人たちが一箇所に集まる場所、それが42。どれだけセグフォしても、どれだけテストで0点でも、どれだけ自分のコードがボロクソ言われても、どれだけ不安に陥っても、どれだけ理不尽な環境でも、どれだけ不平等な環境であろうと、エンジニアリングし続ける。なぜならそれが生きがい、もしくは、それしかないからだ。

昔の42のターゲットは、お金がなかったり、教育システムとの不適合により、学校という王道のレールから外れてしまった青年や大人たちである。王道なレールを外れた人たち向けに人生の第二のチャンスとして提供されてきたアウトローな学校だ。ただし、どんな人でもいいというわけではなく、BORN2CODEを体現化している人向けの学校である。そのため、設立された当初のフランスの42では入学試験などを設けており、過酷なものだった。無限に出てくる課題に対して寝て起きてはプログラミングをし、提出した課題は0点の評価が当たり前で、4週間ぶっ続けで実施する。そして、あまりにも学生が順調にこなしている場合、学習に必要なサーバーをわざと落としたりして、学生たちにストレスがかかることも実施する。どれだけ負荷がかかっても、BORN2CODEであることを証明しなければならない。

前事務局長はこのような入学試験を体験し、彼が感じた文化を映像に体現化したのが、2019年にローンチした42東京オリジナルのコンセプトムービーである。

コンセプトムービーの中にも自分や文二郎さん、動画を撮影していただいた方々が42を言語化しようとしたときにたどり着いた以下の言葉が用いられている。

just coding

BORN2CODEと比べて尖ってはいないが、シンプルかつ明確なメッセージ。42に来る人たちは、年齢、人種、国籍といったあらゆるボーダーを越えた先で何を行うかというと、ひたすらコーディングし続ける。そんな文化だった。

時代が進むにつれ、フランスの42 Parisに新たな校長(Sophie Vigerさん)が就任したり、世界情勢がD&Iをより重要視されようになったりと、時代が進むにつれ、BORN2CODEやjust codingは廃れていき、今では、以下のキャッチコピーの方が正しい。

break the codes

42 パリのホームページ(https://42.fr/en/homepage/

日本語に訳すと、「バイアスを壊せ」といった文脈である。このバイアスは様々なものを指している。IT業界に入るハードル、IT業界における女性の比率の偏り、そして42が理不尽であるというバイアスを壊すことも含む。アウトローな学校は大衆化されていき、より多様な人たち向けの環境に変容して行っているのだ。

BORN2CODEを背負った人たちしか入れなかったエリート主義・実力主義だった過去の42の文化と、今後は誰でもコーディングできる大衆主義の42の文化。

10年後、また実力主義の文化が色強く出てくるかもしれないが、現状誰にもわからない。

わかるのは、文化の変容の狭間に置いてけぼりの学生が存在し、その人たちも取り残さない文化にしたいという、自分の思いが存在することだけだ。

--

--